11-25

疲れはなかなかとれないし、休みも意外と早く終わってしまう。

 人と関わったり仕事してから時間が経ったりするほど世の中が灰色に

見えてしまって困る。世の中にある邪魔なものがどんどんなくなったら

少しはすっきりするのだろうかとか思う。

自分がいやな気分になったりイライラしたりするものの7、8割くらいは

嫉妬とかルサンチマンなのだろうか、と思う。とりあえずそれを自覚すること、

自分の器の小ささを知っていることが出発点にはなるのだろうけど、

現実のきびしさは変わらない。

 

現実はきびしい、生きていても苦しいことが多い。それはそうだけど、

そういう考えに浸り続けているとダメになる。それもナルシシズムのひとつの形

だからだ。何か風穴が空くような、思いがけない出来事とか、ユーモアとか、

そういうものがないと息苦しくなる。

芸術であれ文学や哲学であれ、それに触れることによって自分の認識とか

感覚が変わる、なにか新しいことを発見する、そのために必要なものなのだ。

 

こんなふうになってしまうと、もう未来のことは考えない方がいいなと思う。

半年後に自分が何を考えているのかもわからないし。それぞれの人が

自分のやりかたでやるしかない。

 

11-03

気力なし。映画や本につかう時間はあるのにやる気が出ない。

好きなものに触れて自分をマネジメントできるように、若いころよりは

なったけど、それは不幸を小さくするものであっても、幸福をあまり生み出すものでは

ないのかもしれないと思った。

 

鏡を見ると白髪が少し見つかる。そういう年齢になった。

職場に優しい感じの人が話をしているのを聞いていて、わたしにはこういう経験は

あまりなかったなと、虚しい気持ちになった。

運とか偶然性というものは、私たちの人生を左右しすぎている。

電車の中でベビーカーに乗った小さな子どもが母親に恐竜の人形を持って

じゃれていた。自分にはなかったものを見てしまうといろいろと

しんどくなる。

 

会社での経験も、就労移行での経験も、そんなに良いものではなかった。

なんでこんなに歪んだ社会になっているのだろうと思うことの方が多かった。

いろいろなことがバカバカしいと感じられる。

電車にたくさんの人が詰められているのが毎日続いていく、それはほんとに

狂っている。

なんか暗いことばかり浮かんできて、文章もそんな感じになっているので、

よかったことを書いておく。

 

谷川俊太郎とかピーナッツの本を読んで少しだけらくな気持ちになった

・ジャズのピアノとか好きな歌手の曲を聴いて少し気分を変える

・本とか映画で、ときたま、これはすごいと思うものに出会うこと

 

と書いてきたけど、自分の行動はパターン化してしまっているなとも思った。

ほんとうに新しいことはなかなか生まれない。年のせいなのか能力がないのかは

わからないけど。

10-26

最近は欠勤とか午前休みが増えてきた。疲れがなかなか取れない。

満員電車でいやなオーラの出ている中年男性、スマホばっかり見ている

若い男女、もうちょっと詰めてくれと押しているのに動かない人、

いろいろと疲れる。東京に人が集まりすぎだよと思う。

 

引きこもり状態から抜け出して3年近く、当初考えていたよりも

この社会はとてもきびしいものだった。もうちょっと人間ってまともなものだと

思っていた、でもそれは違っていた。いいこともないわけではなかったし、

今まで知らなかったことを知ることのできた歓びというものはたしかにあった。

でも総合的にはやっぱりつらいまま現在に至っている。

 

この3年では、映画を見たりジャズを聴くようになった。そういう幅が広がった

ことはいいことだし、時々いいものに触れたと思うこともあるけど、

それは時間が経つと消えていく、薄れていくものだ。

 

3年前の自分と今とでは、いろいろと違っているところがあるのだろうと思う。

ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、というのは

本当にその通りだと思う。ずっと変わらずにいることよりも、状況に応じて

変わっていけることの方がよいことなのだと思う。

誰でも今現在を生きている、どんなに過去が懐かしい、昔はいい時代だったと

思っている人でも。映画なんて昔の方がいいのだけど、それを見ている私は

2018年に見ている。自分でも何を言いたいのかわからなくなってきたけど。

 

自分にとっては親の関係、とくに母との関係にいつまでたってもとらわれていて、

自由になれない。映画の中で、藤純子ジーナ・ローランズが戦っている

姿にとてもしびれて、なにかもう泣きそうになってしまう。

自分が恋愛のようなものや、女性に何を求めているのかということは、

考えたり人とかかわったりするほどわからなくなってしまう。ただ間違いないのは、

そのことには母との関係がすごく影響してしまっていることだ。

それがとてもうっとうしい、息苦しい。

 

もう少し自由になりたい、楽になりたい。

 

就職して5カ月近く経つけど、特にいいことが起きることもなかった。

1日6時間近くパソコンと向き合う仕事をしてる。

やりがいとかそういうものは考えない方がいいと思ってるので目の前の仕事を

やるだけだと思いながらキーボードを叩いているけど、やっぱりやりがいが

だいぶない、それ以外に会社でなにかいいこと、いい人間関係が築けたとか、

そういうこともない。

 

 就労移行に1年数カ月通った後に就職したけども、そこのスタッフは、

親が死んだらどうすんのみたいなことを言う人とか、威圧的な態度で

ものを言ってくる人とか、嫌な人が複数いて、そういう人と関わりながら、

汚れた大人として主張したりするのはこういうことなんだなと思うようなことを

経験した。

クストリッツァの映画の話ができるような人が自分の担当だった時もあったけど、

その人は2カ月くらいで異動になってしまった。

自分がいるのは特例子会社という障害者が多くいる会社だけど、そういうところの

指導員でもハラスメント的な人はふつうにいるし、そういう支援者とか専門家への

信頼はだいぶなくなった。

 

恋愛的なことについては、就労移行で好きになった人はまったく脈なしで

終わって、今の会社ではよく笑うかわいい人がいると思ったけど、

左手に指輪があった。

同性の友人でも、仲のいい人が出来たということもなかった。自分から話を

することがどうしてもできないのだった。

 

今の生活は、平日は家に帰ってから少し本を読んだり音楽を聴くことだけしか

楽しみはない。時間が細切れになって映画をなかなか見づらくなってしまったから

土日にずっと見ていようと思ったけど、疲れているのか、気分がよくないのか、

よくわからないけどあまり見れないまま休みが終わる。給料もほんとに低い。

このような生活を繰り返して年を取っていくと思うと、ほんとにつまらない人生に

なったのだなあと思う。

 

やっぱり私は体力がない方みたいで、今まで欠勤とか午前中に休むという日も

けっこうあった。これからもたぶんそういう日がよくあると思う。その度に

苦手な電話で、休ませてくださいという話をしなければいけないことが

続くと思うとゆううつになる。

 

結局のところ自分は何をしたいのか?と自問自答すると、私のやりたいことは、

この現実に対する違和感みたいなものを何らかのかたちにしておきたい

ことだと思った。それは表現ということになると思うけど、そういう才能が

自分にあるかどうかもわからない。というより大多数の人間にそういうものはない。

しかし他人からどう評価されるかはわからないが、今までの自分と現実なり

社会なりとのことについて決着をつけるようなことをしておきたいということが、

自問自答しているうちにそういう思いが浮かび上がってきた。

 

ある程度時間はかかりそうな感じだし、時間が経つうちに別のことが目標に

なるかもしれないし、そうなったとしたらそれはそれでいい。