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ツイッターに何か書こうと思うけど書けないということを繰り返す。

検閲の空気というか、そういうものが内面化してしまっている感じだ。

差別とか多様性とか、そういうものをあまり意識せず、言及せずに済んだゼロ年代の空気とはずいぶん違ってしまった。枕詞とか、エクスキューズ的な言葉とか、そういうものが多すぎる。「させていただく」の多用も同じことだ。

・春からカウンセリングに通い始めて、半年以上経つ。でもなかなか回復しないなあ、と思う。もちろん、効果を少しは感じているから続けているわけだけど。

嫌な記憶、経験、そういうネガティブなことをある程度話す。それを聞いてもらう、受け止めてもらう、ということによって、少し楽になる、ということは、確かにあるのかもしれないと感じた。

カウンセリングに行ってみようかと思った理由のひとつは、河合隼雄の本を読んで箱庭療法に興味を持ったことだった。だけど実際にやってみたら、想像していたよりも結構難しかった。けれども、何かに興味を持つことはよいことだ。

それなりに長く生きて、何かを好きになったり、興味を持つことは、やっぱり大事なことだと思うようになった。好きになった理由を説明しても、上手く言えなかったり、合理的なものではなかったりする。つまり、そこには大きな謎がある。その謎は、可能性だと言ってもいいのではないか。

・千葉雅也のツイッターを見ていると、40代になって、筋トレをしたり、絵を描いたりしているみたいだ。もし自分だったら、それなりの年齢になって新しいことを初めても、たいしたところまでいけないだろう、と思ってしまいそうだ。実際に、アメリカの映画や野球をもっと知るためには英語が出来たらいいよなと思いつつも、今も勉強していない。けれども千葉さんはいろいろなことをやってしまう。その陽気さとか明るさとか、そういうのは自分には欠けているものだなと思い、少しは見習いたい。

・年を重ねても、人は成長すると思う。だけど自分の場合は、その速度が遅いなと思う。そのうちに体力、気力の衰えがやってきて、一日に出来ることが若い時よりも減る。それでも自分なりのペースでやっていくしかない。

現代詩手帖の年鑑をこの数年は毎年読んでいるので今年のものも読んでるけど、あまり関心の惹かれるものがなかった。詩だけじゃなくて、いろんなジャンルでこのところはそんな感じだ。どんどん嫌な時代になっていく。人間がつまらなくなっていく。その中で自分なりにどう生きるか、何か抵抗できるのか、それを来年も考えていく。