4-11

もう少しで今の会社に入って2年。自分ではよく持ちこたえたと思うけど、

他人からはあまり評価されていない。

土日の休みと、2,3週間に一度の定期通院は休んでいいことになっているが、休みも

あっという間に終わる。映画もあまり観れず、本もあまり読めない。でも一般的な

社会人は誰もがそのようにしているらしい。それはそれなりにすごい、えらいことだと

思うけど、体力のある人や我慢強い人が生き残る、高く評価されるので、そうではない

人はなかなか評価されない、金が稼げない。我慢比べ、俺の方が頑張ってるんだぞと

いう自慢、マウンティングのようなものがただひたすらに溢れていく、続いていく。

 

自分のことは性格が悪い人間だと思っていた。まあ、じっさいに悪いところも

あるのだが、社会復帰して家族以外の人とかかわるようになってわかったのは、

私の両親はすごく気に障るような、逆なでしてくるような嫌な言い方をする人たち

なのだなと言うことだ。だからこちらも悪い部分、嫌な部分がいろいろと出てくる。

それに気づいたことは良いことだと言われているが、それがほんとなのかは

わからない。

 

自分の欲望やしたいこと、理想のようなものはあるけど、それがなかなか実現

しないこともある。目立った才能や能力の無い人間はどのように生きていけば

いいのかということを、ひきこもり状態から抜け出してからの数年間ずっと

考えているし、自分の無能さや現実のきびしさに何度も直面するという感じの

人生だった。

自分の好きな人の言葉や表現に支えられて生きてきたという感覚が、30代になって

からある。それはキラキラした青春とか希望じゃない。老人の知恵とか、

物事を見る眼、メチエと言われるようなものだ。

それなりの学歴や資格があってお金を稼げるとか、恋愛でモテるということは

ある程度のものがその人にないと難しいのだが、文化的な知恵のようなものは

スペックの低い人間にも開かれている。だからそれがどうしても必要なものに

なった、そのような人生になったのだ。

 

1-27

この一月はずいぶん調子がわるい。

就職してから1年半以上経った。仕事中でも、家にいるときでも、主に会社で

あったことを断片的に思い出したりする。辞めた人、異動した人のことを思い出す

ときがいちばん苦しくなる。現在進行形でうまくいかないこともあるけど、

この世は諸行無常で先のことはわからないということもよく知っている。

失われたものばかり考えてしまうのはなぜなのか。幸せな人生を送っている人、

健全な家庭環境、人間関係を持っている人は、自分の人生を振り返って、

思わず笑みがこぼれたりするのだろうか。

文化的なことでいいことはある。ふっと肩の力が抜けるような一瞬もあるけど、

やっぱりベースがおかしいともうだめだ。

もう頑張りたくない。努力や苦労もできる限りしたくない。でもそれでは

生きていけない、金が稼げない。

 

自分の価値観とか世界観、好きなものを深めていくとか、希望があるとすれば

そのあたりにしかないと今は思う。他者とのかかわりは、私にとっては

嫌なことの方がずっと多かった。

 

11-9

このところずっと気分が晴れない、なんとなく調子が悪いみたいな感じだ。

前にも似たようなことを書いたけど、この世界には救いはないのだということを

経験として理解してから、比喩的な言い方だが、自分の見ているものが灰色に

見えるようになった。良いことがまったくないわけではない。ガスヴァンサントの

新作はよかったとか、難解なギルエヴァンスの音楽がピンとくるようになったとか、

主に文化的なことにかんしては、いいこともある。でもそういうことがあっても

あまり満たされるような感覚にはならない。

わたしにとってはこの現実世界は、がんばって、歯を食いしばってまで

生きていく価値があるものではなかった。それはわたしにとってということであり、

例えば家庭環境が健全な人、スペックと言われるものが高い人、理解あるパートナーや

友人がいる人、そのような人とわたしでは、この世界の見え方がだいぶ違うものに

なっているのだろうと思う。人間は自分の関心のあることしか見えない、そのように

できている。

 

ネットでは相変わらず、政治的な正しさとか、ものわかりの良い発言が流れてくる。

でもわたしは知っている、経験している、そういうことを言う人の多くが、

言葉と行動、振る舞いが一致していない人であるということを。

あるいはほんとに人のための行為が出来るのか、それとも自分のナルシシズムのような

ものが行動の原理になっているのではないか、ということ。

障害者雇用の人たちを見ていると、あまり笑わない人がけっこういる。

街を歩いていると不機嫌そうな老人とか中年男性もよく見る。

日本映画がつまらないとか、アイドル文化とか、今の世の中は狂っているのではないか

と思えるようなことがいろいろある。

こういう世の中で生きていたくないし、もうあまり人とかかわりたくない。

 

9-10

復職して4カ月くらい経ったけど、相変わらず欠勤とか遅刻が多い。

週30時間労働さえ私には無理なのかもしれないと日々思っている。

支援者の人も痒いところに手が届かないような、あまり話をしてもらくにならない。

前の人が子供が出来たから交代することになったわけだけど、誰かが幸福になると

誰かに不幸になる、しわ寄せがくるみたいなことを最近は良く思う。世界の幸福や運の

総量が決まっているのだとすれば、特定の人、集団にそれが多く行けばその分

歪みも大きくなる。今の世界はそうなっている。

 

この間夜の繁華街で食事会みたいなのがあったけど、あまり楽しくなかった。

リア充的なことはもういいやと思った。離人症的な、現実の物事に対して

距離がある、なにか入り込めない感じがこのところずっとある。

世の中とか人間の嫌なところを経験しすぎてしまい、幸せなことがそれに比較して

少ないのでたぶんこんな感じになってしまったのだと思う。

綺麗事とか耳障りのいい言葉に対する嫌悪感が年を重ねるたびに大きくなっていった。

物事を率直に、正直に語る人の方が本当はやさしいのだと痛感する人生を送った。

死ぬまでに何かやりたいことはと考えて、吉本隆明にオマージュを捧げる

みたいなことが出来れば理想だと思ったけど、それ以外のことはあまり

浮かばなかった。たぶんもう余生になっている。

加齢による生理的なものの変化、時間感覚の変化は経験しないとわからないし、

それは否応なく迫ってくる。

自分の欲望とか何がしたいかとか、自分自身を理解することがいちばん大切であり

なおかつ困難なことだという平凡な結論でとりあえず終わり。

 

 

7-12

支援者の人と話す。自分の意見を押し付けたり上から目線みたいなものが

うっすらと見え隠れする。表面上はそうではない雰囲気をまとっているから

余計に嫌だなと思う。こんなことをこの3年くらい何度もくり返している。

人間は賢くない、嫌な奴が多すぎる。こんな経験は全くする必要がない、

人格が歪んでしまうだけだ。

 

そういう嫌なことがあると、今私はイライラしている、怒っていると気づくように

する、という仏教的な方法は、私には結構役に立った。自意識の暴走を

防ぐ技術のようなものだと思った。自意識をなるべく無くすようにして、

自分の状態を観察する。それを感じて、言葉とか意味付けはする必要が

ないと思いながらただ見る。

 

仕事についてはもうやめてもいいと思っているが、まだやっていない対処の仕方

みたいなのをやってもうまくいかなかったら多分やめる。

私の人生がこうなっているのは、それは自分で選んだことではないけど、

気が付いたら、いつの間にかそうなっていたというものだ。そして

そのような現実に適応できるかできないかということでしかない、優れた能力の

ない人間には。

「ぼくにとって重要な問題は、ぼくふさわしい現実を生きることなのだ」

というコクトーの言葉を思い出しながら生きている。

 

 

 

5-23

ナルシシズムとか作為みたいなものはいやだと思う。でもその感覚が

強くなりすぎると、ほとんど何も言えなくなってしまう。何事もバランスが

大事という平凡な真理。

 

もうすぐいまの会社に入社して1年になる。振り返ると、いいことはあまり

なかったなあと思う。つらいことはありすぎたし、給料も低かった。

今の時代の格差について、過去と比べてどうなのか、客観的に見てどうなのか、

私は知らないけど、ほんとに狂った世の中だと思う。

誰でもできるような仕事は安い給料で、インフラのようなものとしての価値が

ほとんど認められていないのだと思った。それは競争を勝ち抜いたものが

多くの富を得るというこの社会の価値観が反映されているからだ。

 

今まであったことは変えられない、解釈が変わるだけだと思う。

若くして両親を亡くした人が中卒か高卒で働いて、その職場で結婚相手と

出会ったから、その人は両親が健在ならすぐに働くことはなかっただろうから、

彼女は両親がいないことを前向きにとらえられるようになった、というエピソードを

本で読んだ。過去が変えられるということはそういうことなのだと思った。

事実は変わらない、その解釈は現在の自分がして、それは時間とともに移り変わる

から変わっていく、というふうに理解した。

 

今までの人生はこういうふうに過ごした、時間がたっていったという事実は

変わらない。最近誕生日だったせいか、その事実とか時間の重みを感じて

苦しい。この現実には救いみたいなものはないということは、経験として、

皮膚感覚として私は感じた。20代の時にはそんな考えを持ったことはなかった。

30代になってあるときにそう思ってから、世の中の夢、理想、キラキラしたもの、

そういうものがほとんど全部うそに、ニセモノに見えるようになった。

それはもちろん私にとってということであって、べつに多くの人が勘違いしている

みたいな話じゃない。

 

というわけでだいぶ憂鬱な感じだけど、これからどう生きていくのか、

途方に暮れる。似たようなことをくり返すうちにどんどん時間が過ぎてしまう。

 

 

 

3-31

診断書をもらってきた。

隣の奴がずっと貧乏ゆすりをしている映像がくり返し残像のようにつきまとって

再生されたり、不快な感覚に襲われたりする。

頭痛とか抑うつだとか言う言葉では言い表せない具合の悪さがある。

それで早退したり休んだりした日があったが、それが好きな人の最後の出勤日

だったようで、話をする機会を逃したまま終わった。

 

手取り10万を超えたのはたぶん一回だけだった。

自分では選択できない環境、報われるとは限らない努力や苦労、

この世の中はあまりにもバランスが悪い、と思ったけど、じつは

そんなふうに思っている人間の方が少数派なんだと思った、

だから変わらないのだ。

 

調子が悪くなると、映画を見たり本を読んだりして、時間が経つと回復する、

そしてまた調子が悪くなることをいつまでもくり返す。

なにか幸運な出来事も起こらないまま、時間が過ぎて、人として衰えていく、

ぐるぐる回っているだけだ。

経済的成功者になる可能性もほとんどゼロだから、あとは自分の欲望とか

目標をしっかりと見きわめて、それに対して行動とか普段の生活をしっかりすること

しかないんじゃないかと思った。