7-8
時間が過ぎるのが早く、もう今年も半分終わった。
最近になって、ようやく社会参加のリハビリみたいなことをするようになった。
ある程度回復するまで、半年以上かかった、長かった。
とは言っても、そんなに積極的な気持ちで行動できたわけじゃない。
家族以外の人と話さない生活が長く続くと気分的に閉塞感が強くなってきて、
このままの生活を続けるのも良くないと思ったから行動した、という感じだ。
映画が好きなのでキネマ旬報を読んだり、詩に関心があるので現代詩手帖を読んだり
するけど、どちらも、特集のラインナップとか、実際に内容を読んでも、あまり
面白くないなと感じることが増えた。政治的な正しさとか、属性でしかものを
考えられていないものが評価されていて、これは私の読みたいものではないなと思う。
この数年でそういう世の中への嫌悪感や不快感がだいぶ大きくなった。
今の時代は嫌な時代だと思いながら生きていくことは、幸せではないし、
愉快でもない。
35歳になり、喜怒哀楽、感情の振れ幅が小さくなり、良くも悪くも若い時よりは
落ち着いている感じになった。そのかわりに、虚無感とか無力感が大きくなっている。
このような現実を生きているのに、キラキラした言葉やファッションを見ていると、
なんだかくらくらする。先日、女性誌とかファッション誌と言われる雑誌で占いの
特集があったので読んだが、広告とかファッションがスタイリッシュだったり
キラキラしていたり、こんなものを撮影して何になるのだろう、自分は
何でこんなものを見ているのだろうと、変な気持ちになった。
何というか、もう精神的にかなり荒廃しているような、砂漠みたいな感じになって
きている。人間の汚れたところがずいぶん可視化されるようになっているのに、
ポリコレ的な言説が以前より広まっているのはどういうことなんだろう。
生きていることに飽きているというか、驚くようなことが減っている。
35歳になったとき、こんなふうな人生、生活を生きているとは思わなかった。
29歳で脱ヒキしたときは、漠然と、未来は明るいと思っていた。
嫌なこと、思うようにいかなかったことが、ずいぶんあった。
いまは、惰性で生きている、ただ何となく生きているだけだ。
日々のルーティンをくり返すなかで、本や映画で時々驚くようなことや
よろこびを感じるようなことがある。退職してからの生活は、よろこびとか
うれしさのようなものを感じることは、それしかなかった。
まあでも、それすらもない生活よりは、いくらかマシなのだろう。