10-26
最近は欠勤とか午前休みが増えてきた。疲れがなかなか取れない。
満員電車でいやなオーラの出ている中年男性、スマホばっかり見ている
若い男女、もうちょっと詰めてくれと押しているのに動かない人、
いろいろと疲れる。東京に人が集まりすぎだよと思う。
引きこもり状態から抜け出して3年近く、当初考えていたよりも
この社会はとてもきびしいものだった。もうちょっと人間ってまともなものだと
思っていた、でもそれは違っていた。いいこともないわけではなかったし、
今まで知らなかったことを知ることのできた歓びというものはたしかにあった。
でも総合的にはやっぱりつらいまま現在に至っている。
この3年では、映画を見たりジャズを聴くようになった。そういう幅が広がった
ことはいいことだし、時々いいものに触れたと思うこともあるけど、
それは時間が経つと消えていく、薄れていくものだ。
3年前の自分と今とでは、いろいろと違っているところがあるのだろうと思う。
ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、というのは
本当にその通りだと思う。ずっと変わらずにいることよりも、状況に応じて
変わっていけることの方がよいことなのだと思う。
誰でも今現在を生きている、どんなに過去が懐かしい、昔はいい時代だったと
思っている人でも。映画なんて昔の方がいいのだけど、それを見ている私は
2018年に見ている。自分でも何を言いたいのかわからなくなってきたけど。
自分にとっては親の関係、とくに母との関係にいつまでたってもとらわれていて、
自由になれない。映画の中で、藤純子やジーナ・ローランズが戦っている
姿にとてもしびれて、なにかもう泣きそうになってしまう。
自分が恋愛のようなものや、女性に何を求めているのかということは、
考えたり人とかかわったりするほどわからなくなってしまう。ただ間違いないのは、
そのことには母との関係がすごく影響してしまっていることだ。
それがとてもうっとうしい、息苦しい。
もう少し自由になりたい、楽になりたい。