11-24

退職して2カ月弱。最初思っていたよりも回復のスピードが遅い感じだ。

8月に通っていたクリニックが閉じて主治医が変わった。前の主治医は、

不満を感じることもあったけど、ある程度言いたいことが言えて、

なんで変わってしまったのだろう、もう一度話がしたいなと思う。

それから就労支援を受けていた人も、前の人は結構話をして楽になったり、

あまりストレスを感じることはなかったが、子供が出来て休むことになった。

後を継いだ人はあまりいい人ではなかった。それで、産休で休んでいた人が

今年の春ごろに復帰すると聞いていたが、配偶者の仕事の都合でそのまま退職

することになった。自分にとっていい印象を抱いていた人が相次いで

自分の前からいなくなっていった。会社の上司も、別にパワハラをする人では

ないけど、いい人だということもなかった。

 

去年の3月くらいから、なんか運が悪い、人との縁に恵まれないと感じるように

なって、占いで人気の人の本を読んだり、自分でタロットをやったりもしたけど、

辞めるまでの1年半、悪い流れを変えることはできなかった。

私たちの生きる現実というものは、それぞれに固有の、個別の、

一般論や平均が参考にならないものだ。だから、奇跡みたいなことが起こる

可能性もゼロではないし、逆に、不条理なことが立て続けにおこる、

それなりに長く生きてもいつまでも苦しい人生が続くという可能性もありうる。

ただ社会的には、自分が若い時よりも世の中はどんどん息苦しくなり、

おかしくなっているように思えて、希望は持てない。

 

10-17

10月からニート生活。

辞めたことを後悔する感じはいまのところそんなにないけど、不本意ではあった。

この3年間くらいの苦労とか努力があまり報われなかったとか、

結果を出せなかったということに関しては、やっぱり悔しさがかなりある。

どうしてこのようになってしまったのだろうとか、別の選択肢、別な現実は

ありえなかったのだろうかとか考える。上司が誰になるか、どのような仕事を

担当し、どのような人と関わることになるのかは自分でコントロールできることでは

ないので、苦しい状況がずいぶん長く、一年半とかそのくらい続いて

もう無理だと思って辞めた。

いまは、3年ぶりにゲームをしている。仕事をしていたときは、映画と本に

時間を使うか、疲れを取るために横になって休んだりして、すぐに休日が

終わっていった。なので今までの人生にない、これだけ長くゲームをしないという

ことになった。それで無職のいまプレイしているけど、眼が疲れるなあと思った。

 

ニートになって時間的余裕のある生活になるので、富野アニメのDVDBOXを買ったけど、いまだに半分くらいまでしか観ていない。あまりエネルギーが出てこないし、

疲れとか頭痛もまだ残ってる。あまり生産的な過ごしかたをしていないけど、

なるべく生産的に、有意義にしなければという意識があるということがよくないの

かもしれず、そのあたりは正直難しい。

 

最近笑点に出ている落語家の新書を読み始めた、まだ少しだけど。言葉の使い方、

選び方が自分にフィットする感じがあって、いい本かもという予感がある。

その少し前には横尾忠則の本がよかった。それから自分の好きな谷川さんや、

今は亡き赤瀬川原平とか、みんな30年代生まれの、80代の老人だ。

最近、老人の知恵に助けられると思うことがある。それはこっちもそれなりの

年齢になったから身に沁みるようになったのだろう。それがよいことなのか

どうかはわからない。ただ時間は巻き戻らないし、過去の積み重ねの上に

現在があるし、どうにもならない。別の人生があったとしたらどうなっていたか、

もうそれをリアリティのあるものとして想像することが出来ない、

そういう年齢になった。この数年での人との関わりで、人が辞めたり

異動したりすることも結構あって、これほど流動性が高いのはいいことなのかと

思ったりもしたのだが、とにかくこの世は諸行無常なのだ。

運とかタイミングとか、そういうものが上手くかみ合わないと、いろいろ

つらいことになるんだなあと、この1年半くらいはずっと感じていた。

 

9-3

就職して2年以上経った。

会社の偉い人に嫌なことを嫌な言い方で言われるということがあった。

障害者雇用とか福祉業界とかでもそういう人が普通にいるということは

もちろん経験している、知っているのだけど。面と向かって言われると

ダメージを受ける。翌日は、5時くらいに目が覚めた。対人関係で大きな

ストレスを受けるとなぜかこうなることが多い。中途覚醒はふだんはほとんど

ないのに。そういえば脳科学や睡眠の本で、嫌なことがあった日は、

記憶に定着させないために眠りにくくなる、ということが

書いてあったような気がする。

そしてこのダメージは、時間が経つと薄らいでいく。だいたい1週間から2週間くらい

だろうか。30数年生きるとそういうことも自然と予測がつくようになる。

 

この現実は予想していたより厳しかったしいいものではないなという結論に至った。

年をとっても愚かな人間はたくさんいる。何でこんな人が既婚だったり子どもがいたり

するのだろうと思うような人たちが。医療や福祉業界で働いてる人も嫌な人は

めずらしくない。自分の仕事や経験から何を学び、何を考えているのだろうかと

思わされる人たちが。

 

恋愛的なことについて。会社に気になる人がいたけど、1年以上経ってもほとんど

進展なし。そのうちに、性格は難しそうな、複雑そうな人なのかなと思って、

もう今はほとんど冷めてしまった。

有名な二村ヒトシ監督の恋愛論、自分の心の穴、自分が何を望んでいるのか、

どういう人が好みのタイプなのか、そういう欲望についてしっかり考えようという

ことを言っている。それでその結果、私は、その難しそうな人みたいな、

こっち側から働きかけるのを待っていたり、察してくれという雰囲気がある人は、

たぶん私は付き合っても幸せになれないのではないかと思った。私も強い人間

ではないのでこっちばかりリードするみたいになるのは嫌だなあと思って、

冷めていった。1年以上経ってこんなふうに考えるとは思わなかったけど。

 

恋愛もうまくいかないし、仕事関係でも嫌なことを言われるし、もういいかげん

辞めてもいいかなと思う。会社の人には評価されなかったけど、自分の中では

それなりに頑張って来たと思っている。でもこの現実には、逆立ちしたって

どうにもならないこともいろいろあるのだ。体調をよくするために、

鍼治療をはじめ、いろいろやってきたけど、残念ながら結果に反映されなかった。

そして会社の偉い人に嫌なことと言われれば、もう心は折れる。

脱ヒキしてからの4年くらいがこのような形で終わっていくのは不本意だし、

つらいことだなと思う。でも現実に救いがないというのはそういうことなので。

自分の好きなもののことを思い浮かべたり集めたりする。人間は平気で

裏切るが文化は裏切らないと感じる。

 

 

映画「おみおくりの作法」と負け犬の生と死

ツイッターでも少し書いたのだが、映画「おみおくりの作法」を見て

それから考えたことを書いておきたい。また、以下の文章は思いっきりネタバレ

しています。

 

 

この映画の主人公は、冴えない中年男と言う感じだ。亡くなった人を見送るという

仕事をしている。そのうちに役所の仕事をクビになる。普段の生活の描写で、

几帳面な性格だということがわかる。友達や恋人もいないようで、仕事で知り合った

ドラッグをやっている男二人と食事でもしながら話をしようと考えていたようだが、

その二人も来なかったらしい。また、別の女性と仲良くなりそうな雰囲気になり、

これからどうなるのだろうというところで、男は車に轢かれて死んでしまう。

最後の場面は、男が担当していた人の葬儀で、関わりのあった人が集まる場面が

描かれる。そのあと、男の遺体が埋葬された地面の上に、様々な人たちが

集まっていくというシーンになる。

この場面に込められたのは、この主人公のような冴えない人生を送った人でも、

多くの人たちがその死を悼んでいる、尊いものなのだということだと受け取った。

それはこの映画を撮ったパゾリーニという人の優しさがとても感じられるものだった。

現実には、冴えない、祝福されない人生を送り、死んだ人の多くは、

このラストシーンのようなものではなく、ただ忘れられていくような

終わり方をした人が多いだろうと思う。つまり、これは映画というフィクションだから

描けたものなのだとわかっている。

しかし、それでもなぜかこのラストシーンに、幻想だとわかっていても感動する

ことが出来る。それが芸術とか文化のよいところなのだと思った。

4-11

もう少しで今の会社に入って2年。自分ではよく持ちこたえたと思うけど、

他人からはあまり評価されていない。

土日の休みと、2,3週間に一度の定期通院は休んでいいことになっているが、休みも

あっという間に終わる。映画もあまり観れず、本もあまり読めない。でも一般的な

社会人は誰もがそのようにしているらしい。それはそれなりにすごい、えらいことだと

思うけど、体力のある人や我慢強い人が生き残る、高く評価されるので、そうではない

人はなかなか評価されない、金が稼げない。我慢比べ、俺の方が頑張ってるんだぞと

いう自慢、マウンティングのようなものがただひたすらに溢れていく、続いていく。

 

自分のことは性格が悪い人間だと思っていた。まあ、じっさいに悪いところも

あるのだが、社会復帰して家族以外の人とかかわるようになってわかったのは、

私の両親はすごく気に障るような、逆なでしてくるような嫌な言い方をする人たち

なのだなと言うことだ。だからこちらも悪い部分、嫌な部分がいろいろと出てくる。

それに気づいたことは良いことだと言われているが、それがほんとなのかは

わからない。

 

自分の欲望やしたいこと、理想のようなものはあるけど、それがなかなか実現

しないこともある。目立った才能や能力の無い人間はどのように生きていけば

いいのかということを、ひきこもり状態から抜け出してからの数年間ずっと

考えているし、自分の無能さや現実のきびしさに何度も直面するという感じの

人生だった。

自分の好きな人の言葉や表現に支えられて生きてきたという感覚が、30代になって

からある。それはキラキラした青春とか希望じゃない。老人の知恵とか、

物事を見る眼、メチエと言われるようなものだ。

それなりの学歴や資格があってお金を稼げるとか、恋愛でモテるということは

ある程度のものがその人にないと難しいのだが、文化的な知恵のようなものは

スペックの低い人間にも開かれている。だからそれがどうしても必要なものに

なった、そのような人生になったのだ。

 

1-27

この一月はずいぶん調子がわるい。

就職してから1年半以上経った。仕事中でも、家にいるときでも、主に会社で

あったことを断片的に思い出したりする。辞めた人、異動した人のことを思い出す

ときがいちばん苦しくなる。現在進行形でうまくいかないこともあるけど、

この世は諸行無常で先のことはわからないということもよく知っている。

失われたものばかり考えてしまうのはなぜなのか。幸せな人生を送っている人、

健全な家庭環境、人間関係を持っている人は、自分の人生を振り返って、

思わず笑みがこぼれたりするのだろうか。

文化的なことでいいことはある。ふっと肩の力が抜けるような一瞬もあるけど、

やっぱりベースがおかしいともうだめだ。

もう頑張りたくない。努力や苦労もできる限りしたくない。でもそれでは

生きていけない、金が稼げない。

 

自分の価値観とか世界観、好きなものを深めていくとか、希望があるとすれば

そのあたりにしかないと今は思う。他者とのかかわりは、私にとっては

嫌なことの方がずっと多かった。

 

11-9

このところずっと気分が晴れない、なんとなく調子が悪いみたいな感じだ。

前にも似たようなことを書いたけど、この世界には救いはないのだということを

経験として理解してから、比喩的な言い方だが、自分の見ているものが灰色に

見えるようになった。良いことがまったくないわけではない。ガスヴァンサントの

新作はよかったとか、難解なギルエヴァンスの音楽がピンとくるようになったとか、

主に文化的なことにかんしては、いいこともある。でもそういうことがあっても

あまり満たされるような感覚にはならない。

わたしにとってはこの現実世界は、がんばって、歯を食いしばってまで

生きていく価値があるものではなかった。それはわたしにとってということであり、

例えば家庭環境が健全な人、スペックと言われるものが高い人、理解あるパートナーや

友人がいる人、そのような人とわたしでは、この世界の見え方がだいぶ違うものに

なっているのだろうと思う。人間は自分の関心のあることしか見えない、そのように

できている。

 

ネットでは相変わらず、政治的な正しさとか、ものわかりの良い発言が流れてくる。

でもわたしは知っている、経験している、そういうことを言う人の多くが、

言葉と行動、振る舞いが一致していない人であるということを。

あるいはほんとに人のための行為が出来るのか、それとも自分のナルシシズムのような

ものが行動の原理になっているのではないか、ということ。

障害者雇用の人たちを見ていると、あまり笑わない人がけっこういる。

街を歩いていると不機嫌そうな老人とか中年男性もよく見る。

日本映画がつまらないとか、アイドル文化とか、今の世の中は狂っているのではないか

と思えるようなことがいろいろある。

こういう世の中で生きていたくないし、もうあまり人とかかわりたくない。