映画「おみおくりの作法」と負け犬の生と死
ツイッターでも少し書いたのだが、映画「おみおくりの作法」を見て
それから考えたことを書いておきたい。また、以下の文章は思いっきりネタバレ
しています。
この映画の主人公は、冴えない中年男と言う感じだ。亡くなった人を見送るという
仕事をしている。そのうちに役所の仕事をクビになる。普段の生活の描写で、
几帳面な性格だということがわかる。友達や恋人もいないようで、仕事で知り合った
ドラッグをやっている男二人と食事でもしながら話をしようと考えていたようだが、
その二人も来なかったらしい。また、別の女性と仲良くなりそうな雰囲気になり、
これからどうなるのだろうというところで、男は車に轢かれて死んでしまう。
最後の場面は、男が担当していた人の葬儀で、関わりのあった人が集まる場面が
描かれる。そのあと、男の遺体が埋葬された地面の上に、様々な人たちが
集まっていくというシーンになる。
この場面に込められたのは、この主人公のような冴えない人生を送った人でも、
多くの人たちがその死を悼んでいる、尊いものなのだということだと受け取った。
それはこの映画を撮ったパゾリーニという人の優しさがとても感じられるものだった。
現実には、冴えない、祝福されない人生を送り、死んだ人の多くは、
このラストシーンのようなものではなく、ただ忘れられていくような
終わり方をした人が多いだろうと思う。つまり、これは映画というフィクションだから
描けたものなのだとわかっている。
しかし、それでもなぜかこのラストシーンに、幻想だとわかっていても感動する
ことが出来る。それが芸術とか文化のよいところなのだと思った。